◆別名
◆所在
幸田町深溝天白
◆交通
県道41号線と県道383号線が交わる深溝天白の信号交差点の南西角に看板が立てられている。
◆歴史
三ヶ根山と遠望峰山に挟まれ、四方を山で囲まれた深溝地区であるが、すぐ南は海と言う事もあり、縄文・弥生時代には大規模な集落があった事が発掘調査で判っている。
鎌倉時代には大庭氏が深溝城を築いてこの地を支配したが、後に松平氏の支配下となった。
東光寺遺跡からは縄文から鎌倉中期までの遺構が発掘され、城館らしき物もあったようだが、由緒などは判っていない。
◆現在
近隣には『城跡』『櫓下』『裏門』『木戸口』などの地名が残り、城館があった事を想像させる。なお『東光寺』遺跡となってはいるが、近辺に東光寺と言う名前の寺は現存しない。