◆別名:
◆所在:
岡崎市秦梨町林中
◆交通:
◆歴史:
嘉元3年(1305年)に鎌倉幕府の被官として就任した粟生氏の城である。
赴任当初、粟生永信は梅薮屋敷に居を構えたが、鎌倉幕府末期の混乱の中、秦梨山の頂に城を築き移住する。
南北朝時代には南朝に尽くし、足利幕府に背いて三河了撲の中心となり、その後、松平氏、今川氏に付き従って、日近合戦では織田の軍勢を迎え撃ち撃退している。
永禄4年(1561年)、前年に主君である今川義元を桶狭間で討たれた板倉重定は岡崎城を退去。
これに従い、粟生将監も松平軍に城を明け渡し、その後は酒井図書が秦梨城に入城するものの、松平氏の三河支配が強まるにつれ、城の必要性も薄れ、廃城となった。
◆現在:
山林に変わってしまっているものの、土塁や堀切などが残されている。