2017年5月2日撮影
◆別名:
◆所在:
岡崎市鴨田町広元
◆交通:
◆歴史:
徳川家の菩提寺として有名である大樹寺だが、永正5年(1508年)今川氏親(今川義元の父)の名代として東三河を制圧した伊勢宗瑞(北条早雲)は一万の手勢を率いて大樹寺を要塞化し、岩津城への攻撃を開始した。
松平家3代目の信光には多数の息子が存在し、岩津城を親長に継がせて惣領とし、五井、竹谷、形原、大草、能見、牧内、長沢、丸根、宮石などへ息子を配し、後に十八松平と呼ばれる基礎を作り上げていた。
岩津城に攻め寄せた今川軍であったが、城方はこれをよく防ぐ中、安城城の松平長親が援軍を率いて現れ、伊勢宗瑞の本陣まで肉薄されるなど苦戦したため、大樹寺を引き払い、撤退したと言われている。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで今川義元が織田信長によって討ち取られると、大高城に入っていた松平元康(徳川家康)は、中山城の中山勝時(家康の生母である於大の方の妹婿)らの助けを借り、大樹寺まで逃げ延びて、先祖の墓前で自害を試みるが、13代住職の登誉天室が『厭離穢土 欣求浄土』の教えを説いて諭し、古巣の岡崎城へとたどり着いたと言われている。
◆現在:
大樹寺には家康以下、14代家茂まで江戸幕府歴代将軍の等身大の位牌が祀られている。
本堂前から山門を通して、岡崎城を見る事ができるようになっているのは、この直線上にマンションなどの高層建築を建てる事を、岡崎市が禁じているからである。