◆別名:
◆所在:
岡崎市東蔵前町火打山
◆交通:
◆歴史:
築城年は定かではないが、矢矧川東岸と言う立地条件から見ると、松平宗家3代目の松平信光の子にあたる松平家勝が築いたと考えられる。
松平信光には一説には40名余りの子があったと言う伝承が残されており、岩津松平や安城松平など、主流となる家系の他、竹谷城や形原城、大草、宮石、深溝、能見、長沢、牧内、鴛鴨などの各城へ息子を配し、西三河一帯を中心とした一大勢力を築く事に成功した。
家勝はすぐ西にあったと言われる磯辺城と、豊田市の丸根城の城主としても名前が残されており、丸根松平家の祖となっている。
元亀3年(1572年)になると内藤家長は姫城に加え、藤川城と東蔵前城を家康から与えられ、8千石を領有したと伝わるが、天正18年(1590年)の家康の関東移封に伴い、家長も上総佐貫城主として2万石を得ており、東蔵前城はこの時に廃城になったと思われる。
家長は関ケ原の合戦直前に伏見桃山城で戦死しているが、その子孫は拳母藩を始めとして、6家が大名となっている。
◆現在:
天満宮近辺が城跡と言われているが、遺構などは存在しない。