◆別名
天野康景邸
◆所在
幸田町坂崎平蔵脇
◆交通
国道248号線を岡崎方面から南下し、竹下の信号交差点で右折(西へ向かう)し、450m程進んだ坂崎船附の交差点を左折する。
500m程進むと左手に安国寺が見えるが、その先にある交番の角を左折して路地を入り、200m程でため池が見えるので、そこからさらに200m程進むと道路が3つに分岐している所に出る。
分岐正面に見える木が茂っている所が神明社になる。
◆歴史
岡崎三奉行の一人である天野康景の生誕地で、天野氏の城館があったとされる。
天野氏は遠江権守であった藤原為憲の子孫が伊豆国天野郷に移住し、天野氏を名乗った事が始まりとされる。
平安、鎌倉時代を経て、南北朝時代になると、遠江の犬居城を本拠として勢力を築くものの、家中は二分して南朝方と北朝方に別れて争う事になる。
この分裂抗争は戦国時代になっても続くのだが、その中で天野正貫が三河坂崎へ移り坂崎城を築いた。
正貫の子孫が天野康景で、幼少期から徳川家康の小姓として仕え、人質時代も行動を共にしており、三河一向一揆の際にも天野一族の中から一揆方に付く人物がいる中で、康景は家康に付いて功を挙げ、その後も三方ヶ原の合戦や姉川の合戦で戦功を挙げている。
家康の関東移封に伴い、康景も下総に領地を得ている事から、その前後で坂崎城は廃城になったと思われる。
◆現在
神明社から西側一帯が城跡と伝わる。
神明社境内には天野康景誕生地の碑が立てられている。