◆別名:
◆所在:
岡崎市本宿町古城
◆交通:
◆歴史:
岡崎松平家3代目信貞の子と言われている松平権兵衛重弘の居城で、築城年は定かでは無い。
松平清康亡き後、松平家は今川方と織田方に分裂。織田方に付いた重弘に対し、天文16年(1547年)岡崎城に帰還した松平広忠は酒井正親、石川数政らを派遣し本宿城を攻撃。
当時、堀として使用されていた鉢地川は川幅も広く、城側から放たれる弓矢になすすべなく敗退。
城主の重弘は追撃に出るが、岡崎勢の待ち伏せに会い弟の親成をはじめとした武将兵士の多くを失い城に戻った兵は10名余りと言われている。
城に戻った重弘は妻子を城下の道元寺に託し、子の忠就らと共に城を脱出したと伝わる。
その後は松平家が支配し、城主に酒井与四郎の名前があるが、廃城の時期は不明である。
◆現在:
城跡の対岸に通る東海道沿いに看板などが建てられている。