日近(ひぢか)城

2019年2月23日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市桜形町般興

 

◆交通:

 

◆歴史:

文明10年(1478年)亀山城主の奥平貞昌が松平氏に対して築いた城で、次男の貞直を配して日近奥平家の祖とした。

 

弘治2年(1556年)奥平氏は今川氏から離反して織田氏に与すると、兄で宗家4代目を継いだ奥平貞勝らが秦梨城を攻略し、大川城近辺に陣を構える。

これに対し、松平勢は東条松平家の松平忠茂、松井松平家の松井忠次らが攻勢を見せ、一時は日近城近辺までの後退を余儀なくされるが、奥平勢の矢が松平忠茂に当たり討死。天野源太郎の屋敷に宿泊していた松平元康にも夜襲をかけるなどして撃退に成功するも、半年後の雨山合戦では今川軍に敗戦。

 

この敗戦により、今川家へ再従属する事になった奥平家は、奥平貞勝により、貞直は放逐され、日近城は奥平宗家の支配する所となり、徳川家康の関東移封に伴い廃城となった。

 

◆現在:

広祥院の裏手にある山麓一帯が城跡である。

県道35号線には日近城跡の看板が立ち、その脇には日近の里駐車場が整備されている。

 

駐車場の脇道から武家屋敷跡を経由して登城する事も可能だが、広祥院にある墓地から登った方が判りやすい。

 

2郭、3郭は木々に埋もれてしまい判然としないものの、虎口や本曲輪、それを囲む土塁や堀切などは現在でも見る事ができる。