麻生松平氏の菩提寺である阿弥陀寺
2019年2月23日撮影
◆別名:
◆所在:
岡崎市鍛埜町神谷倉
◆交通:
◆歴史:
南北朝末期から室町初期頃、麻生氏によって築かれた城館と考えられる。
『三河国二葉松』には「麻生村古屋鋪、親氏公時代麻生内蔵助天野弥九郎中山七名領主倉橋太郎左衛門モ住松平助十郎」と記されている。
応永22年(1415年)林添城の薮田源吾忠元を討ち取った松平親氏は、大平の柴田左京を追い払い、二重栗の二重栗内記を大林で討ち取ると、麻生の地を攻略。これを見た田口の中根、秦梨の粟生、奥岩戸の岩戸大膳、柳田の山内などの諸豪族は全て降伏し、中山七名は松平氏の支配下に入った。
その後、麻生の地は天野氏の支配する所となるが、長享元年(1487年)天野景孝の代になると、松平宗家四代目の親忠が麻生の地を攻め落とし、九男の松平乗清(滝脇松平家の祖)の息子である親正を麻生の地に入れ、麻生松平氏の祖とした。
以降は麻生松平氏が麻生城を築いたため、詰城のような役割を担ったと考えられている。
◆現在:
尾根の先端に築かれたと言われているが、遺構は残されておらず、詳細な位置も不明。
一説には麻生松平氏の菩提寺である阿弥陀寺の近辺とも言われている。