2017年12月30日撮影
◆別名:
◆所在:
岡崎市上地町宮脇90
◆交通:
◆歴史:
築城年は不明だが、城主には、鎌倉時代初期の郷士であった大見藤六の名前を見る事ができる。
元暦元年(1184年)平家討伐に京を目指す源範頼は、この城館で休息を取り、邸内の祠に祀られていた八幡大菩薩に先勝祈願をした後に西進。壇ノ浦で平家が滅亡した後、三河守護に任ぜられた範頼は、建久元年(1190年)に城内にあった祠を基にして、上地八幡を寄進建立したと伝わる。
その後、大見氏は代々藤六の名前で上地を領し、永禄6年(1563年)の三河一向一揆では、徳川方として軍議に参加していたが、その翌日に一揆方に寝返って作戦の詳細を一揆方に伝えたと『東照宮御実紀付録』に記載がある。
一揆側に寝返った大見藤六に激怒した家康であったが、緒川城から援軍として来た水野正重が藤六を討ち取った際はその功を賞賛したと言われている。
城は一向一揆収束後に廃城になったと言われている。
◆現在:
願成寺の住職である鈴木氏が隣接する上地八幡宮との境に土塁や空堀らしき遺構を確認。
その後、三河国二葉松で上地城の記述を発見して境内に来歴の看板を立てているが、発掘調査は行われておらず、推定地である。