赤渋(あかしぶ)城

赤渋地区の中心に位置する松林寺の近辺に城館があったと伝わる。

 

2016年9月26日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市赤渋町

 

◆交通:

 

◆歴史:

城主に熊沢一学、天野助兵衛、天野甚七郎、天野半七の名前を見る事ができる。

 

天野氏は遠江の犬居城を中心に勢力を保った一族で、信濃と遠江、駿河を結ぶ街道の交点を支配地に収めていたため、今川氏や武田氏、徳川氏などの周辺の大勢力から接触を受け、その度に、一族を分けて、各勢力と協力関係を保ち勢力保持に努めていたと思われる。

 

戦国末期になり今川氏が滅亡すると、天野氏は武田信玄に従属したため、天正4年(1576年)に徳川家康は遠江へ侵攻するが、当時の犬居城主である天野景貫の兄である天野正貫の系統は徳川家康に従っており、その息子は三河三奉行の一人『どちへんなき』の天野康景である。

 

なお、犬居城を中心とした、天野氏領域の最東端にあたる樽山城主の中に天野助兵衛の名前があるが、赤渋城の助兵衛と同一人物かは不明である。

 

◆現在:

松林寺の北西には、上郷中、下郷中、郷東などの字名が残る事から、赤渋町上郷中の信号交差点近辺が城館ではないかと思われるが、遺構などは存在しない。