青野(あおの)城

来迎院境内にある松平義春の墓碑

 

2016年9月26日撮影 


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市上青野町稲荷西

 

◆交通:

 

◆歴史:

室町時代中期に松平義春が築いたとされる城。

義春は松平家5代目にあたる長親の六男(※注1)で、青野松平家を興した人物であり、青野城から中島城を通り、東条城までの南北に抜ける街道沿いを支配していたとされる。

 

義春の孫にあたる家忠の代になると、東条吉良氏の勢力は衰退し、徳川家康に屈する事となり、家忠が東条城へ入り東条松平家が成立する。


しかし、家忠に跡継ぎがなく没したため、徳川家康の四男である松平忠吉が東条松平家に入り跡を継いだが、関ケ原合戦で受けた傷の影響で28歳の若さで没した。

忠吉にも跡継ぎがなかったため、東条松平家は4代で消滅する事となった。

 

◆現在:

青野城の遺構は存在しないが、来迎寺の境内には松平義春の墓(※注2)が残されている。

 

※注1:

義春は長親の四男と一般的に言われているが、墓碑には六男と記載されているため、これに準じて、このサイトでは六男と表記している。

 

※注2:

義春の息子である忠重の墓と言う説もあるが、ここでは墓碑に記されている通り、義春の墓とする。