永井(ながい)城

2017年12月30日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市福岡町村前

 

◆交通:

 

◆歴史:

三河国二葉松によると、城主は山本小次郎。

また、桶狭間合戦時、丸根砦攻略戦では、形原城主の松平家広配下として、『山本四平』『山本小次郎』『山本才蔵』の名前を見る事ができるが、この三名は後の三河一向一揆の際に、土呂本宗寺に立て籠もって徳川家康に敵対している。

一揆終焉時に土呂の村落は焼き払われており、永井城もこの時焼失したと考えられる。

 

◆現在:

城跡一帯は畑になっており、遺構などは存在しない。

 

城址碑の向かい側には山本勘助の墓があるが、立てられた由来は不明。

先祖をたどれば、牛久保城の山本氏と同族となるようだが…

 

また、近隣の成光寺には柴田勝家の墓も存在するが、こちらは勝家の孫の勝重が額田・宝飯の両郡に領地を持っており、遠祖である勝家を供養するために墓を立てたと言われている。