土呂(とろ)城

2017年12月30日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市福岡町御堂山

 

◆交通:

 

◆歴史:

永禄6年(1563年)~永禄7年(1564年)にわたって、徳川家康を悩ませた三河一向一揆。

本宗寺を中心として一揆衆の拠点の一つとなった土呂地区は、上地城主の大見藤六が家康を裏切った事により焼土と化し、やがて一揆は鎮圧された。
土呂城は一揆終了後、徳川家康の命で石川数正が築いたと言われている。

 

三河三ヶ寺と呼ばれた勝蔓寺上宮寺本證寺は一向一揆終息後も同じ地に再建されたが、本宗寺は土呂では再建されず、各地を転々とした後、慶長6年(1611年)に現在の美合町にて再建される事となる。

 

◆現在:

城址本丸の西を通る県道43号線沿いに城址碑がある他、二の丸があったとされる御坊山南麓に建つ土呂神社の鳥居脇にも同様の城址碑が建てられている。 


本丸跡には以前寺が建っていたが、現在は廃墟となっている。