合歓木(ねむのき)城

2017年12月30日撮影


◆別名:

 

◆所在:

岡崎市合歓木町下郷間183

 

◆交通:

 

◆歴史:

松平宗家6代目である松平信忠は、清康に安翔城を与え、次男の信孝に合歓木城、三男の康孝には三木城を与えて各地を領有させた。

 

合歓木松平を起こした信孝であったが、宗家を継ぎ、三河一帯を平定した兄の清康が、天文4年(1535年)に配下の阿部正豊に殺害(森山崩れ)され、嫡子広忠が跡を継ぐと、桜井城主の松平信定が岡崎城を奪い取って、広忠を伊勢へと追い出した。

 

広忠らは駿河の今川義元の援助を受け、室城へと入場。信定派に属し、岡崎城の留守居を務めた信孝であったが、広忠派へと転身して岡崎城へ迎え入れたため、家督争いは沈静化した。

 

広忠の後見役となった信孝であったが、天文11年(1542年)に三木城主の康孝が死去すると、この領地を横領するなど、次第に松平氏の中で権勢を奮うようになったため、阿部定吉らの年寄衆によって排除される。

 

信孝は山崎城へ入場して、佐々木城の松平忠倫、上野城の酒井忠尚らと反広忠派として敵対するが、耳取縄手で戦死したと伝わっている。

 

◆現在:

城跡近辺には神明社が建てられているが、遺構などは存在していない。