中島(なかじま)陣屋

八幡社に移設された常夜灯

 

2015年2月1日撮影


◆別名:

小笠原氏陣屋

 

◆所在:

岡崎市中島町薬師

 

◆交通:

 

◆歴史:

小笠原忠知は松平信康の娘を母に持ち、 父の秀政は本拠地の信濃を追われ徳川家の家臣となっていたが、大阪夏の陣で家康の身代わりとなって討死している。

 

秀政が戦死すると家督は兄の忠真が跡を継いで小倉藩主となった時に、忠知は杵築4万石を与えられて大名とり、寛永14年(1637年)に起こった島原の乱で戦功を立てるなどの功績より、正保2年(1645年)に5,000石の加増を受け、吉田城へと入った。

 

寛文3年(1663年)忠知が死去すると嫡男の長矩が跡を継ぐが、この時に弟の長定に3,000石を分与。長定が支配拠点として築いた中島陣屋は、明治維新まで継続した。

 

◆現在:

陣屋があった地は宅地化されているが、陣屋にあった常夜灯が近隣の八幡社に移設され現存している。